白蓮楼:布袋戲紹介 » 布袋戲について

布袋戲の変遷

初期の形体

 布袋戲が台湾に伝わった当初は、移民の出自により様々な様相を見せていた。
泉州からの移民は台湾北部中心で「南管布袋戲」、漳州移民は「白字布袋戲(南管系)」、潮州移民は台湾中南部で「潮調布袋戲」というように、それぞれが自分達の布袋戲を持ち込んでいた。これらの流派の主な違いは用いる楽曲の形式にある。 1896年以後には「北管布袋戲」が形成され、流れは南管音楽等から北管音楽へと移行していった。
偶頭や資料の展示
写真1 偶頭や資料の展示
高雄市立歴史博物館『掌中乾坤-高雄布袋戲春秋特別展』の展示

布袋戲の禁令と規制、そして進化

 歴史上、布袋戲の上演が政治の影響で禁止または大きく制限された事が残念ながら何回かある。その禁令に日本が関わっているものがあったことは非常に残念である。これらの禁令時代の試練に耐えた布袋戲は、その後新しい形の「金光布袋戲」へ発展する布石となっていった。

 日本統治下で皇民化を目的に布袋戲などが一時期禁止された後、1941年にようやく一部解禁される。あくまで皇民化が目的なので、上演されたのは水戸黄門、鞍馬天狗、黒頭巾などの日式布袋戲だ。その後、日本統治が終焉した1950年代には反共抗俄布袋戲が盛んになった。又「外台戲」(廟などで行われる祭典)が何度も禁止された事で、布袋戲の流れは「内台戲」(戲院で行われる公演)へと移り変わっていく。

戲院のモックアップ
写真2 戲院のモックアップ
高雄市立歴史博物館『掌中乾坤-高雄布袋戲春秋特別展』の展示
■ 主な布袋戲禁令と制限 ■
1937年
第一次禁令。日本統治下で発布。日本政府は「禁鼓楽」政策をとる。台湾布袋戲にとっての暗黒時代となる。1941年には布袋戲解禁の要望が出されて、日本の政策に沿うような制限された形でようやく一部解禁される。(皇民化布袋戲)
1947年
第二次禁令。「二二八事件」発生。国民党政府は一年間廟などで行われる布袋戲、所謂「外台戲」を禁止。ただし戲院で行われる「内台戲」は禁止されなかった。
1949年
国民党政府遷台。「外台戲」禁止令。
1952年
政府は拝礼などを厳しく規制。再度「外台戲」の禁令が出される。
1974年
第三次禁令。布袋戲が青少年に悪影響を及ぼし国民の生活を乱しているとして一時期台湾語の布袋戲上演を制限。

金光布袋戲の台頭

 1950~60年代には『金光布袋戲』という演出が大きく変わった商業的な布袋戲として観客の目を惹くようになる。 この「金光布袋戲」は「台詞は一人、両手で操偶、木雕頭部」という『布袋戲』の原則は保持しているが、それまでの伝統布袋戲と比べ演出・音楽・舞台等まったく異なったものになった。木偶の大きさも45cmほどに大型化。このように「金光布袋戲」は流行や娯楽性を重視し観客の興味を引くことに重点を置いている。
因みにこの呼び名、もともとは「金剛」であったようだが、台湾語で「光」と「剛」が同音であったこともあり「金光」が定着した。

電視布袋戲(テレビ布袋戲)とその受難

 1961年、台湾のテレビ時代が到来すると、『電視布袋戲』が形成される。1970年に黄俊雄師の『雲州大儒侠史艶文』が放映され大ヒット。当時「黄俊雄」の三文字が台湾布袋戲の代名詞と言われるまでなった。  木偶の大きさもさらに大型化し、90cm程度の大きさになる(現在の大型木偶である)。舞台や演出もテレビ独自の技術を取り入れた新しい形態として発展していく。

 この大ヒット当時、いわゆる布袋戲劇団の「おっかけ」や「雲州大儒侠史艶文」を見る為に放映時間には皆テレビの前に釘付けになり、井戸端話は全て史艶文というほど。寝食を忘れて熱中するというような社会現象まで起きたということである。学生が学校を休むなどの社会問題も発生。又当時政府が進めていた「国語運動」の重大な阻害になるとして1974年に一時期放映禁止となった。(「史艶文」は台語を使用していた。)
禁令後、黄俊雄師は国語布袋戲を世に出すが、国語では以前のような大衆の共感を得ることはなかった。台語が布袋戲の一つの真髄で、それなくしては衰退の一歩を辿るのみだったということだろう。

霹靂チャンネル
写真3 史艶文と秦假仙の垂れ幕
高雄市立歴史博物館『掌中乾坤-高雄布袋戲春秋特別展』入口

布袋戲新時代:史艶文から霹靂へ

 1982年には大衆の強い要望を受けて電視布袋戲は徐々に復活を遂げる。黃文擇・黃強華兄弟は彼らの父親である黄俊雄師の作った雲洲大儒俠シリーズの後をうけて『霹靂布袋戲』を世に出す。しかし放映の時間帯、放映時間の短さ(正味20分程度)や内容など未だ当局の検閲が厳しく真髄を発揮することが困難で徐々に大衆の興味を失っていった。
 1985年、黃文擇師はそのようなテレビ放映の状況に見切りをつけ、自身で布袋戲を撮影しレンタルビデオ市場に参入する。 布袋戲新時代の幕開けである。
 80年代後半に黃兄弟は「霹靂衛星電視台」というケーブルテレビの専用チャンネルを設立。
黄氏は解禁後に出された「霹靂」シリーズを編集し、新たに五部にまとめて市場調査もかねて世に出した。それらが「霹靂城」、「霹靂神兵」、「霹靂金榜」、「霹靂震九霄」の五集。
  1. 霹靂城 (8集) 1985/7-10
  2. 霹靂神兵 (8集) 1985/10-1986/01
  3. 霹靂金榜 (8集) 1986/01-04
  4. 霹靂震九霄 (8集) 1986/04-07
  5. 霹靂戰將 (8集) 1986/07-10

 この後、第六部の『霹靂金光』第13集で「清香白蓮素還真」、第八部『霹靂至尊』第1集で「刀狂劍痴葉小釵」、第十一部『霹靂異數』第16集で「百世經綸一頁書」といった三大主役が登場すると、再び大衆の釘付け状態が始まり熱烈な歓迎を受けることになる。
 このような現代版布袋戲には、霹靂シリーズのほかに、『天子傳奇』、『火爆球王』、『黒河戦記』、等が存在。

霹靂チャンネル
写真4 霹靂チャンネルの一場面
霹靂チャンネルを視聴できるホテルと出来ないホテルがある。(えてして高級ホテルでは視聴できない)
参考資料:
『台灣小百科・民俗館: 台灣布袋戲』 稲田出版
『台灣布袋戲表演藝術之美』 吳明德 著 台灣學生書局