布袋戲 (Budaixi、ポーデヒ、プータイシ)の由来
布袋戲(又は布袋戯)は人形劇の一種で台湾語ではポーデヒ (Poutehi)、北京語ではプータイシ (Budaixi)と呼ばれる。
人形の胴体(頭部と手脚以外)が布で出来ていて、その中に片手を入れて操るタイプの人形劇だ。発祥の地である中国では『国家級非物質文化遺産』(日本では無形文化財に相当)にも登録(『木偶戲』)されている民間伝統芸能。
独自の発展を遂げてきた台湾でも近年布袋戲等の『表演藝術』の継承と発展に力を入れ始めている。
『布袋戲』という三文字が歴史上の文献に現れたのは清の嘉慶年間(1796年~1820年)に出版された中国の地方志(福建省)集成『晉江縣志』の中で、『近復有掌中弄巧,俗名布袋戲』とあるそうだ。この時代には既に民衆の間ではポピュラーな娯楽だったことがうかがえる。
人形の胴体(頭部と手脚以外)が布で出来ていて、その中に片手を入れて操るタイプの人形劇だ。発祥の地である中国では『国家級非物質文化遺産』(日本では無形文化財に相当)にも登録(『木偶戲』)されている民間伝統芸能。
独自の発展を遂げてきた台湾でも近年布袋戲等の『表演藝術』の継承と発展に力を入れ始めている。
写真1 掌中戲舞台と戲偶
高雄市立歴史博物館で2004年夏に開催された『掌中乾坤-高雄布袋戲春秋特別展』展示物
高雄市立歴史博物館で2004年夏に開催された『掌中乾坤-高雄布袋戲春秋特別展』展示物
起源
伝統芸能には良くあることだが、その起源は資料不足で曖昧なようだ。文献や民間伝承から一般的には中国『明』末期~『清』初期に閩南地区(福建省泉州)で発生したとされている。『布袋戲』という三文字が歴史上の文献に現れたのは清の嘉慶年間(1796年~1820年)に出版された中国の地方志(福建省)集成『晉江縣志』の中で、『近復有掌中弄巧,俗名布袋戲』とあるそうだ。この時代には既に民衆の間ではポピュラーな娯楽だったことがうかがえる。
『布袋戲(掌中戲)』についての民間伝承を要約すると次のようなものになる。
“明の時代に文人(染炳麟や孫巧仁、または両者ともいわれている)が科挙の試験を受けに行く時、途中立ち寄った廟でたいそう夢見が良かったので御神籤を引いたら『功名威赫歸掌上,榮華富在眼前』と出た。(「功名はたなごころの中、栄華と富は眼前に」のような解釈か?)
良いお告げに狂喜して意気揚々と試験を受けたが、残念ながら結果は落第。失意のうちに里に帰り、ふと興味をひかれた当時の傀儡戲を自分流に改良し興したら(掌中戲の始まり)それが大当たりして栄華と富を手中に収めた。その時ようやく『功名威赫歸掌上,榮華富在眼前』の本当の意味が理解できた。”
というもの。ほかにも少し違うバージョンがあるようだが、概してその主旨は同じである。
大陸で広く親しまれるようになっていた布袋戲は、19世紀の初め~中期頃に移民と共に台湾へ伝播。大陸とは異なる独自の変遷を経て台湾布袋戲が形成されていった。
『掌中戲』と呼ぶ由縁は一目瞭然で、人形を手で操ることからきている(操偶技術の観点)。
又『木偶戲』は木偶を用いているということで明らか(使用する人形の観点)。
『布袋戲』(舞台形式の観点)の【布袋】の由来については不確定で以下のように幾つかの説がある。
呼び名の由来
この人形劇を示す名称(いわゆる別称)は『布袋戲』の他にも幾つかある。『掌中戲』、『木偶戲』、『布袋戲』の三つが主たる呼称で、その他に『手操傀儡戲』、『手袋傀儡戲』、『小籠』、『指花戲』などなど。なかでも劇団の名称には『掌中戲』が多く使われているようだ。『掌中戲』と呼ぶ由縁は一目瞭然で、人形を手で操ることからきている(操偶技術の観点)。
又『木偶戲』は木偶を用いているということで明らか(使用する人形の観点)。
『布袋戲』(舞台形式の観点)の【布袋】の由来については不確定で以下のように幾つかの説がある。
- 人形の胴体(頭部と手脚以外)部分は四角い袋状の布のようになっている為
- 早期に用いられていた演劇台が大きな布袋のような形をしていた
- 劇の終了後に、一式を大きな布袋に入れて持ち運び(興行)していた
- 舞台の下に布製の袋のようなものが張ってあり、操偶師が上演する木偶をそこに並べて順次手にした
写真2 街中の廟と祝祭:掌中戲の準備
台湾の街(確か台南)で通りがかった廟。祝祭準備中の様子だった。この後布袋戲が上演(奉納?)されたのだろうか。
台湾の街(確か台南)で通りがかった廟。祝祭準備中の様子だった。この後布袋戲が上演(奉納?)されたのだろうか。