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布袋戲 (Budaixi、ポーデヒ、プータイシ)の由来

起源と伝播

 その起源は資料不足で明確に断定できないようだが、文献や民間伝承から一般的には中国『明』末期~『清』初期に閩南地区(福建省泉州)で発生したとされている。

 『布袋戲(掌中戲)』についての民間伝承を要約すると次のようなものだ。

“明の時代に文人(染炳麟や孫巧仁、または両者ともいわれている)が科挙の試験を受けに行く時、途中立ち寄った廟でたいそう夢見が良かったので御神籤を引いたら『功名威赫歸掌上,榮華富在眼前』と出た。(「功名はたなごころの上、栄華と富は眼前に」のような解釈か?)
良いお告げに狂喜して意気揚々と試験を受けたが、残念ながら結果は落第。失意のうちに里に帰り、ふと興味をひかれた当時の傀儡戲を自分流に改良し興したら(掌中戲の始まり)それが大当たりして栄華と富を手中に収めた。その時ようやく『功名威赫歸掌上,榮華富在眼前』の本当の意味が理解できた。”


ほかにも少し違うバージョンがあるようだが、概してその主旨は同じである。
『布袋戲』という三文字が歴史上の文献に現れたのは清の嘉慶年間(1796年~1820年)に出版された中国の地方志(福建省)集成『晉江縣志』七十二巻「風俗志」の中で、『木頭戲,俗名傀儡,近復有掌中弄巧,俗名布袋戲。』とあるそうだ。この時代には既に民衆の間ではポピュラーな娯楽だったことがうかがえる。

 大陸で広く親しまれるようになっていた布袋戲は、19世紀の初め~中期頃に移民と共に台湾へ伝播。福建泉州から傳入したといわれており、その後大陸とは異なる独自の変遷を経て台湾布袋戲が形成されていった。(詳しくは『布袋戲の変遷』参照)

 こうして定着してきた『布袋戲』は、近年台湾が『表演藝術』の継承と発展に力を入れていることもあり、2006年には行政院が主催する「台灣意象票選 (台湾のイメージ投票)」で第一位に輝いた。(台灣意象票選 布袋戲奪冠) 台湾の布袋戲は、日本の富士山や桜と同じレベルで国民の意識に浸透しているということだろう。

布袋戲が流行した区域
図1 布袋戲が流行した区域
漳州、泉州、潮州と台灣(『维基百科』参照)

呼び名の由来

 この人形劇を示す名称(いわゆる別称)は『布袋戲』の他にも幾つかある。『掌中戲』、『木偶戲』、『布袋戲』の三つが主たる呼称で、その他に『手操傀儡戲』、『手袋傀儡戲』、『小籠』、『指花戲』などなど。

『掌中戲』と呼ぶ由縁は一目瞭然で、人形を手で操ることからきている(操偶技術の観点)。
『木偶戲』は木偶を用いているということで明らか(使用する人形の観点)。
『布袋戲』(舞台形式の観点)の【布袋】の由来については不確定で以下のように幾つかの説がある。

  • 人形の胴体(頭部と手脚以外)部分は四角い袋状の布のようになっている為
  • 早期に用いられていた演劇台が大きな布袋のような形をしていた
  • 劇の終了後に、一式を大きな布袋に入れて持ち運び(興行)していた
  • 舞台の下に布製の袋のようなものが張ってあり、操偶師が上演する木偶をそこに並べて順次手にした
どれが正しいかはさておいて、どれをとっても『布袋』と関係が深いことは確かである。
金光戲台
写真1 金光戲台
台湾の高雄市歷史博物館で2008年10月26日に上演された錦五洲掌中劇團の布袋戲『曹公傳』。『2008愛河布袋戲展演祭』の活動の一環。
 劇団の名称には“小西園掌中劇團”、“五洲掌中劇團”、“亦宛然掌中劇團”、“新興閣掌中劇團”などのように『掌中戲』が多く使われているそうだ。次に多いのが『布袋戲』で、一番少ないのが『木偶戲』らしい。
『木偶戲』の場合は“偶頭製作師”、『布袋戲』の場合は“舞台”が表立ってしまうが、『掌中戲』は演出者の表現技術や能力にスポットが当たっており、劇団の名称としてこれが一番好まれる理由らしい。